南米の先住民族は、実は当時地続きだったアジア方面からやってきたという説がある。
では、9つのチリの先住民族について説明しよう。
マプチェ族
チリ最大の先住民族で、チリ南部に今も大勢の子孫が住んでいる。
彼らの言語はマプドゥングンといいスペイン語とはかけ離れた言葉であるが、世代が変わってきているため大方スペイン語が話せ理解できる。
マプチェ族はかつてスペインがチリに侵略してきた時に、彼らの地域に決して入ることができないよう激しく抵抗した。
現在マプチェ族は、一般のチリ人たちが所有する土地に関して自分たちのものであると主張し、力で奪い取ろうとして政府と激しくやり合い、多くの死傷者が出るにまで発展した。
また彼らの抵抗方法の一つとして、壮大なチリの森林地帯に放火することで多くの損失を与えている。
つい先日、森の中を通っている高速道路を使って南部に行ってきたが、ある森林地帯は緑が生い茂る地帯から黒焦げの地域へと様変わりしていた。
あれだけの森なのだから、火を消すのは容易ではない。
(写真:前面緑色であるはずが、茶色い部分が見える。すべて燃えた個所。)
コンセプシオンから大型の飛行機が来て、何度も水を投下する作業が続いたと聞いた。
マプチェ族は「大地の主」を意味するだけに、今もチリに大きな影響を与えている部族である。
アイマラ族
アイマラ語を話す彼らは、ボリビア・チリカカ湖周辺にいたティワナク帝国の子孫と言われている。
それでボリビアの近く、つまりチリの北部に住む部族である。
民族衣装を見てもボリビア人の民族が来ているものに非常によく似ている。
インカ族
インカ帝国は、様々な部族を併合しながらチリの領土に入ってきた。
インカ人は南下を試みるも、マプチェ族の抵抗にあってチリの中心辺りまでにしか到達できなかった。
この理由でインカ帝国の影響は多くの日本人が考えるほど大きいものではない。
チリ人はインカ帝国に関連するペルー人やボリビア人と同様の容姿をしていると考える日本人は少なくないが、チリ北部以外インカ系の顔をしている人たちを見かけることはあまりない。
ラパヌイ族
簡単に言うと、ラパヌイ族はイースター島に住んでいる。
チリ本土から3700キロも離れているが、チリ共和国の一部である。
しかしその祖先はポリネシアで、チリ本土の影響よりはむしろ反対側に位置するタヒチの影響のほうが強いと言える。
伝説によると、ある島に住んでいた人が津波で島が沈んだために、移動して住み始めたのが最初と言われている。
その人はイースター島で最初の王様になったとのこと。
イースター島へ入島する主な方法は空路であるが、LATAM独占の空路のため航空券の値段が高い。
パタゴニアの部族 (アオニケンク族、セルクナム族)
チリ南部のパタゴニア地方にはいくつかの部族が存在していた。
かつて彼らはそのステップ地帯で狩猟や採集をおこない生活していた。
マゼラン旅行記にそれらの先住民族の話が出てくる。
しかし残念ながら、それらの先住民族は絶滅したと思われる。
なぜ諸部族は衰退したのか?
もしスペインが南米に侵略しなければ、歴史は大きく変わっていたことだろう。
つまり、他国による殺りく(ジェノサイド)、スペインの征服者たちによる鉱山等での強制労働は南米人の環境を大きく変えた一因である。
また、部族同士の戦争、外国からの疫病の侵入などもチリという国を変えたとも言える。
では現代のチリ人はどんな人種なのか?
1800年代、多くの国々から人々が来て住み着いた。
移民してきた人々の国は、
ドイツ
スペイン
スイス
イギリス
イタリア
クロアチア
セルビア
レバノン
シリア
パレスチナ
などである。
ボリビアやペルーに比べ、先住民族の文化はそれほど根強いものではなかったので、以上の国々の文化が大きく影響を与えた国となった。
また、先住民族とスペイン人が結婚していきそれがチリの最初の土台になったとは言え、上記の国々から来た移民たちとの混血が現代のチリ人を作り上げたとも言えるだろう。
それでチリは、日本人が思っている以上に金髪の人々が多くいる国となっている。
中国人、韓国人、日本人は同じアジア人でも似ていない。
それと同様にチリ人も、ボリビア人も、ペルー人も、アルゼンチン人も似ていないのである。
(どちらかというと、南米共通言語であるスペイン語を話すチリ人とアルゼンチン人はいろいろな面で似通っているところがあるが、話すと一発で「あっ、この人アルゼンチンの人!」とわかってしまう。)
チリの歴史も、他国と同様深いのである。